大相撲!60年も前に土俵に上がった女大関!

女相撲にも歴史があった!

「女相撲」にも、かなり古くからの歴史がありました。

女性が相撲をとるという記述は、古くは奈良時代の「日本書紀」に、書かれていました。奈良時代というと、710~794年ですから、今から、1308年~1224年前になります。(2018年4月現在)

日本書紀(にほんしょき)は、奈良時代に成立した日本の歴史書。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。神代から持統天皇の時代までを扱う。漢文編年体にて記述されている。全30巻。系図1巻が付属したが失われた。

上の記述から、日本書紀が完成したのが720年ということですから、もしかしたら奈良時代の前の時代、飛鳥時代には「女相撲」は存在していたかも知れません。

実際の女相撲の発展は・・・

本格的に発展したのは興行目的で女相撲が行われた江戸時代中期と言われています。

当時の女相撲はどちらかというと世の中の男性から人気がない、美人ではない人が相撲をとって、観客の笑いを取るというスタンスだったようです。

また、当時の女相撲は男性と同じく上半身は裸だったそうです。今の時代では、考えられませんが、流石は江戸時代という事でしょうか。

ここで、大相撲(男相撲)の歴史を・・・

相撲の起源を遡ると、古代にたどり着きます。古墳時代の埴輪や須恵器の出土品に相撲が行われていた様子が描かれている事から、日本では古くからこの競技が行われていたと考えられています。(古墳時代は、250~592年)

この時代からでしたら、相撲の歴史は1700年位の歴史があることになります。

また、「古事記」に書かれている国譲りの神話が相撲の起源とされる事もあります。古事記の記載はあくまでも「神話」ですが、これが「日本書紀」になると、今度は神ではなく人間としての力士同士が相撲を行う姿が細かく描写されています。ここで記されている相撲は蹴り技も出てくるなど、打撃を主とするまさに格闘技でした。この様子は柔道の起源とも言われる事もあります。
奈良時代になると、三手の禁じ手である「突く、殴る、蹴る」や四十八手などの礼儀作法が制定されたと言われています。そして「明確な相撲の最初の記録」と言われているのが「総日本紀」の記載。この資料の中で、聖武天王が7月7日に相撲を観戦したことが「相撲戯」として残されているのです。

この頃は、まだ土俵はなかったようです。戦国時代に入ると相撲を奨励した、皆さんも良く知っている、織田信長が土俵の原型を作ったとも言われています。

女相撲の興行は・・・

江戸時代中期より興行目的としての女相撲が流行します。ですが、美人が少ないという理由から飽きられた為に、盲人(男性)対女性の相撲が興行として評判になったようです。
その為、女相撲及び、女力士としてはエンターテイナーとしてその地位が認められていました。もちろん、女相撲が猥褻なものとしては、見られてはいませんでした。
その後、明治5年には、男女の取り組み・女力士の裸体が禁止されたため、シャツや水着が使われることもありました。(それまで男同様全裸にまわしでした)
明治中期以降に現れた複数の女相撲の一座には、全国興行を行う興行団もあったといいます。その後昭和30年代後半まで九州に女相撲の興行団が残っていたそうです。

ここで土俵にあがった女力士・大関若緑関を紹介します

若緑関は、戦前の日本・山形県で1917(大正6)年に生まれました。幼い頃から力自慢の彼女が、角界入りしたのは17歳の事です。
地元にやって来た「石山女相撲」の興行を見て「相撲取りになりたい」と角界入りしたそうです。その後、わずか3年で女相撲のトップである大関に躍進します。一躍、人気力士となり、ブロマイドの売れ行きもナンバーワンだったそうです。

当時の女性力士たちは相撲だけではなく、力芸や踊りを披露していたといいます。 30人ほどの一団となって、全国をまわり、普段の稽古では「男相撲」(大相撲)の力士とぶつかることもあったそうです。また、正当な相撲を取っており、芸事も修練したエンターティナーとして興行を行っていたそうです。

その後の日本では太平洋戦争が始まります

ここで、若緑関は引退します。24歳の事です。ですが、若緑関は引退しても相撲に関わっていきます。男相撲が、地元に興行に来るとかいがしく、力士たちの世話をしていたようです。

中でも同時期に活躍していた、高砂部屋の前田山と親しくしていたようです。

そんな前田山は、戦争で相撲をやめてしまった母の花道を飾る『引退相撲』を開こうと、わざわざ北条での巡業を企画したんです
巡業の主催者である勧進元は母になるのですが、前田山は「挨拶を土俵上でするよう母に言ったのです」泰夫さんが若緑関の人生を描いた著書「女大関 若緑」には、2人のこんなやりとりが記されています。
「皇后陛下でも大相撲の土俵に上がれないことはワタシも知っています。恐れ多くて土俵には上がれません」
「たしかに神代の昔からは女は一度も土俵に上がったことはない。でも、いつまでもそんな考えをしているのは時代遅れだ。日本の封建的な時代は、今度の戦争で終わったんだ
固辞する若緑関に対し、前田山は「あれほどのスター力士だったのだから」と強く頼み込んだという。責任はとる、とも。
そして、1957(昭和32)年3月末。若緑関が主催となった巡業が、北条で開かれた。
製材所の広場に設けられた土俵上に、意を決した若緑関が紋付きの着物姿で上がると、観客からはどよめきとともに、こんな掛け声があがったという。
「いよ!若緑、日本一ィ」

出典 「女大関 若緑」遠藤 泰夫 著書

これが、女性力士が土俵に上がった時の記録です。およそ60年前になります。

出典 「女大関 若緑」遠藤 泰夫 著書   左右の写真中央が、若緑関。

女相撲の歴史として、はっきりと分かっているのは、江戸時代中期からです。しかし、日本書紀の記述があることから、元々の原型は奈良時代(もしかしたら飛鳥時代)に在ったのかも知れません。また、一時は廃れたが、江戸中期に流行りだしたのかも知れませんし、細々と続いていたのかも知れません。

今現在の女相撲の世界は・・・

色々な不祥事が在りますが、神代の時代からの伝統があることから、国技と認識されています。(正確には憲法では国技が制定されていませんが・・)その中で、女相撲が増えて来ています。しかし、大学でも、関東と関西を合わせても5、6校しかなく、大学より先の受け皿がありません。

女相撲は、アマチュアの中ですが、2001年10月26日に開催した、第1回新相撲世界選手権大会が行われました。全日本女子相撲選手権大会は1997年から、そして国際大会は2013年から毎年開催されています。
日本大学も、オリンピックに向けて女子相撲の選手を増やすために、2000年から女子部員を受け入れ始めてきました。女相撲はこれから人口が増えていく競技ではないでしょうか?

スポンサーリンク


シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする