西城秀樹さん63歳で死去・最後まで歌手として生きた

西城秀樹さん(63歳)が16日に死去

5月16日に、歌手の西城秀樹さんが死去したことがわかりました。

西城さんは4月25日に家族の団らん中に意識を失い倒れ、横浜市内の病院に搬送され、懸命の治療が行われましたが意識は戻らず、16日に亡くなったようです。

この訃報によって、各方面からの悲しみの声とともに惜しむ声が絶えません。

西城秀樹さんは過去、1970年代にトップアイドル 歌手として人気を得て活躍した、郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎 の三人を「新御三家」として、芸能界をけん引してきました。
出典・ザテレビジョン

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西城秀樹さんの病気は

亡くなった直接の死因は、急性心不全です。

急性心不全とは、心臓のポンプ機能が「急激に低下」することによって血液循環が維持できない状態と血液が滞るうっ血状態とが短期間のうちに起こることを急性心不全と呼んでいます。

63歳という若さで亡くなったのは、とても残念な事です。

西城秀樹さんは、過去にも他の病気に罹っており、とても大変なリハビリをして歌手活動をしています。

2003年6月に脳梗塞を発症しました。この時はディナーショーのために訪れていた韓国・済州島にいました。

その時に「ラクナ梗塞」という病名を告げられました。脳内の細い血管が動脈硬化などで狭くなって血液の流れが悪くなる、脳血栓症のひとつだそうです。

その時には、歌えなくなるのでは引退をしようかとかんがえたそうです。

ですが、専門の先生について口腔機能療法というリハビリを行ない、あごの筋トレや舌のストレッチ、風船を膨らませるといった訓練のおかげで、歌を続けることが出来ました。

2度目の脳梗塞を発症

11年12月に再発し、患部が運動神経に近かったため、右半身のまひと歩行時にバランスを失うなどの機能障害が残った。退院後は、過酷なリハビリを続けた。1日2~3時間の筋トレ、リハビリ、鍼治療、神経再生トレーニングまで、激痛に顔をゆがめ、悲鳴をあげ、時に涙を流しながらも、ありとあらゆるリハビリに挑んだ。

この時の症状が、以前より重かったことも自覚出来たそうです。

前より症状が重いことも、じゅうぶん自覚できました。唇や舌が痺れてしゃべれないし、右手と右足が自由に動かせません。前回と違って、退院後はリハビリ専門の病院へ移る必要がありました。

周りの励ましに・・・

「気休めを言わないで下さい。ぼくは、歌えなくなったら死んだも同然なんですよ!」

と、歌手であることに誇りを持っていたようです。

又、辛いリハビリにも、歌手でありたいという事と共に、父親としても元気であり続けたいという思いもあったようです。

そんな病気治療中のリハビリの中で、

病気をして、価値観が変わりました。以前は気にしなかった季節の移り変わりを感じたり、景色の美しさに感動したり、家の中に迷い込んできた虫は外へ逃がす。殺せなくなってしまったんです(笑)。

と、気持ちの変化があったようです。

季節の移り変わりにきが付かない程に、多忙だったのでしょう。ですが、病気をした事で、心痛な思いだけでなく、心にゆとりが出来たのか、周りを眺めることが出来たのでしょうか。

病気をしてのにかかわらず年に70回の公演も

病気をしていながらも、年に70回ものステージをこなしているのは、とても凄い事だとおもいます。

デビューから45年の今年、ステージには70回くらい立っています。移動は大変ですが、普通の生活をすることが大事ですから。『YOUNG MAN』も踊って歌ってますよ。「YMCA」の「C」のポーズで身体の左側に重心をかけるとき、ふらつかないように気をつけてね(笑)。

病気に負けずに、向かい合いうたっていたのです。

 病気になる前は「カッコよくあることが務めだ」と信じていたし、2度めに倒れたあとは「こんな姿は誰にも見せたくない」と落ち込みました。しかしいまは、たとえ不自由でも、ありのままの姿を見てもらえればいい。むしろ、ちゃんと見てもらいたい。そう思えたら、とても楽になりました。脳梗塞やほかの病気と戦う人を勇気づけられたら――それがぼくの生き甲斐です。

西城秀樹さんは、一世を風靡した歌手で、昔を知っている人は「格好いい」というイメージが強い事と思います。

ですが、病気に向かい合い戦っていた姿も、恰好良かったのではないでしょうか。

最後になりますが

ちびまる子ちゃんのお姉ちゃんが、西城秀樹さんの大ファンという事です。作者の、さくらももこさんも、西城秀樹さんの若かりし頃からのファンの一人だったのないでしょうか。

いつの時代でも、人がなくなるというのは、とても悲しいものです。

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